オタは萌えキャラに何を求めるんだろう
「現実異性の代用品」を超えはじめた、二次元美少女達 - シロクマの屑籠
二次元萌えキャラへの傾倒と芸能人のおっかけって根本的には同じものだと思うんだよね.どちらも崇拝の対象であって,どれを選ぶかはその人の育ってきた環境によるってだけのこと.そして,僕が思う崇拝対象として重要な点の一つは「人間らしくない」こと.
人間らしい汚い部分を見せないという点では萌えキャラもテレビの中のアイドルも同じようなものだけど,肉体としての人間の体を持っているかどうかは大きな違いだ.
体を持っていなければいいのなら小説の中のキャラクターだってもちろんいいはずだが,そこに「想像力」が関わってくる.いかに人間らしくないといったって,その存在のすごさが分からなければ崇拝の対象にはならない.自然に神様が宿ってるとか,唯一神が世界を作ったとか言われたってイメージできない人間にはどうでもいい話だ.
宗教のことはド素人だけども,キリスト像なんかの形ある偶像は信仰心を集めるための道具として作られたはず.これって小説のキャラよりもディスプレイの中で動いてくれるアニメや漫画キャラの方が萌えやすいのと同じような話だろう.
そして,もう一つ芸能人と萌えキャラで大きく違うのは「知性」の存在だ.思考能力があるか,あるいはコミュニケーションが取れるかと置き換えてもいい.芸能人だって人間なのだから,今は手の届かない存在でも頑張ればコミュニケーションを取ることは不可能ではない.それが萌えキャラはどうかというと,物語上の存在である以上決して対話することは無い.
人間らしくないという点では,体を持っているかどうか以上に大事だと思う.だって簡単にお話ができる人が神様だって言われてもすごいとは思わない.
以上の二つの理由から崇拝対象としての萌えキャラが僕の中に存在している,あるいは崇拝対象となりやすい・崇拝を維持しやすいのだと思う.
で,このことから二つの極めて大事なことが言えてしまう.
萌えキャラと対話するのはタブー
萌えキャラに現実の体を持たせるのもタブー
あれ?これって
メイドロボがタブー
ということではないか!!!!!!工学部の人間としてメイドロボの実現は一つの夢なわけで,しかし,体と知性を与えてしまっては萌えの対象にはならないというジレンマ.これは大問題だ.なんとか解決方法を考えよう.
というわけで,二次元萌えキャラは崇拝対象なだけであって三次元と混同なんてしてませんよというエントリでした.ヌードが見るに堪えないってのは単に経験*1の問題でしょう.小学生低学年の子とかが女性の裸を見て気持ち悪いっていうのと同レベルな話だと思う.