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プレゼンと動画におけるテキストの扱いはちょっと違うということ

動画作りの反省。

スライドショー形式に逃げましたと書いたものの、作っている最中に感じていた違和感は、動画をあらためて見直すとさらにはっきりと浮かび上がってきた。

問題を一言で言えば解説動画のくせにわかりづらくて、わかりづらい理由をやはり一言で片付ければ文字が多いということに他ならない。文字が多いスライドというのはプレゼンにおいても好ましいものではないものの、そこは語り手の技量次第で案外どうとでもできることが多い。一方で動画という媒体で提供する場合はいったん手放した側からするとどうしようもできない問題が生じる。

語り手主導の音声化

文字が多いということはすなわちそこに書かれていることを(1)読み取り(2)理解するために時間がかかるということである。問題はどのようにしてそこに「適切な時間」*1を割り当てるかで、短すぎては当然理解できなくて次のスライドへの意欲が失せるし、長すぎては飽きてしまう。ここでは(2)理解するために必要な時間を推測するのは難しいので、特に(1)読み取りに焦点を当てて考える。

プレゼンで時間の調整が楽なのは、書かれていることを語り手が「音声化」して伝えることで「読み取り」を「聞き取り」に変換して、誰にとっても適切な速さであるような感覚を与えることができるからだと思う。これは話す速度が人によってあまり差が生まれないという推測から来ていて、普段友達や先生と話していて「この人話すの速すぎだろ」とか「遅すぎだろ」と感じることが少ないことからも同意してもらえると思う。

話す速度が大体みんな一緒だから、逆に音声からは単位時間当たりにこれくらいの情報量が得られるんだろうなという期待値をみんなが共有していると考えられる。

結果として音声化によって(1)読み取りに必要な時間に関しては(聞いている側にとって)適切な時間で伝えることが容易となる。動画の作成においても事前に録音してそれを再生することで同様のメリットが得られるだろう。

受け手主導のテキスト化

音声の場合は皆が大体同じくらいの情報量を期待すると書いたが、テキストの場合はどうだろうか。単位時間当たりに読める文章の量が人によって大きく異なるのは速読について知っている人なら言うまでもないだろう。画面に80文字のテキストを表示してそれを10秒で読む人もいれば、5秒で読む人もいるというのは動画を作る側からすれば大きな問題だ。これは画面内の文字が多ければ多いほど差が顕著になるため、文字は少ない方が全体の理解度は向上しやすいと言える。

動画という媒体でテキストを多用したときに何より問題なのが、語り手からの完全な一方通行にも関わらず、その理解度は受け手に大きく依存してしまうことだ。だからこそ、文字を減らし画像を増やすというのは特に重要な課題となる。



そんなわけで、初めて作ったあの動画は反面教師的な存在となったのでした。ブログだと各人の好きな速さで読んでもらえるので、こうやってだらだらと文章を書けていいですねっ!


ちなみにこの話題はアニメを倍速で見ることをどう捉えるかって話ともちょっと関連するので、また後で書きます。
劇場型娯楽は制作者にとって幸せだなあ、という話 - noir_kかくかたりき改めnoir_kはこう言った

*1:ちなみにここで言う「適切な」とは100人いたら80人ぐらいが理解できるような速度を指している