HDDを見る?
最近は、「HDDを見る」という表現があるんですね!驚きました。
ハードウェアとしてのHDD(Hard Disk Drive)を眺めるという意味ではもちろんありません。「HDDレコーダに録画した番組を見る」という意味です。(^_^;)
第一印象としては違和感があるかどうかはHDDとの接し方次第なのではないかと思った。PCをばりばり使っている人にとってはHDDは汎用データ記録媒体だけど、HDDレコーダでしかHDDを知らない人にとっては映像記録媒体でしかない。そして、映像記録媒体である「ビデオを見る」ように*1、HDDレコーダしか使わない人にとっては「HDDを見る」という表現はいたって普通なのかもしれない。(まあ、僕の周りではそんなこと聞いたこともないが)
同様に、「DVDを見る」という表現だって、映画を見るために使ってる人にとっては普通でも、データバックアップにしか使ってない人にとっては「DVDを見る」という表現は違和感を感じるかもしれない。
もう少し他の例を考えてみると「書類をコピーする」という言葉は書類という物理的存在を複製しているわけではなくて、書類に書かれている内容を別の紙に複製するという意味だ。重要なのは記録媒体ではなく、そこに記録されている内容なのだから、汎用的な名称としてのメディア(DVDとか)を指して、そこに記録されているもの(あるTV番組とか)を対象とする、というのはとても自然なことなのだと思う。その方が伝える側も楽だし、聞く側もイメージしやすい。
ただ、今回の場合は同じメディアでも人によって記録する内容に違いがあるために、メディアとそこに記録されているもののイメージが一致しないことから違和感が生まれたのではないだろうか。
おまけの違和感
「違和感を感じる」は普通に使う派です。「違和感を覚える」というのは少し仰々しい感じがするし、「違和を感じる」ではそれこそ小難しい本でしか見ないような表現です。僕の感性が受ける表現の堅さはこんな感じですね。
違和感を感じる、違和感がある < 違和感を覚える < 違和を感じる
*1:テープだって汎用記録媒体になりえるけどね