向上心のないやつはバカだ

「向上心」なんて言葉は普段の会話でほとんど聞くことがない。
そのためか、友人からこの単語を聞いたときはとっさにこの台詞が頭に浮かんだ。


なんの話をしていたかというと、僕は普段から「上手いものを上手いとかぎ分けることのできる感覚を持った人は不幸かもしれない」と考えていた。これは、ある種僕の人生観になっていたかもしれない。まぁ、友人によって諭されたわけだが(笑。


こう思ったきっかけは、美味しんぼ*1である。海原雄山の印象が強かったからだろうけど、あれを見て「こいつはこういう食事を取れる身分でなくなったときにどうするんだ?」と思いながら読んでいた。あの人はことあるごとに、他人が作った料理をけなしては席を立っているのだ。つまり、上手いものの味を知ってしまったがためにそれ以下の味のものは食べる気がしないということなんだろう。


良いものを知ってしまったがため、分別できる感覚を持ってしまったためにその感覚から外れるものには触れたくない。料理じゃなくても他の文化的なものならあるんじゃなかろうか。もちろん、良いものに気づいた人は気づかない人よりもより多くの感動を得ることができるだろう。しかし、それに触れることができない立場になってしまったらどうだろう?すべてのものに不満を持ち続けなければいけなくなるのではないだろうか。


そんなことを考えた僕は鋭敏な感覚ってのもそんなにいいもんじゃないかもしれない。と考えていたわけ。鈍な感覚を持った人間であれば、すべてのものに不満を持つことなく生活できるんじゃないのか。それを友人に言うと「それは向上心の放棄じゃないか。人はより良いものを求めるから文化が発展するんだろう」みたいなことを言われた。


なるほど。すべての人がそんな感覚を追い求めたら今の世界はありえない。


僕の考え方が後ろ向きすぎるのかもしれないけど、なんだかいまいちすっきりしないな。

*1:15巻くらいまでしか読んでないけど、この点は変わっていないはず