作品を公開するのは恥ずかしいっ

授業に行って研究室に行ったらみんなそろっていたのでビックリ!
来週発表がある4年生のゼミの練習をしていたようです。


僕の発表は一ヵ月後。ちょっと心配になってきました。
1時間ほど研究室にいてその後5限とミーティングのコンボで抜けました。
・・・いいのかな?


そういえば今日のミーティングは珍しく20時終了だったんですよね。
帰ってきたら23時♪僕は意志が弱いので断固残るのです。


それじゃ、帰りの無駄話のことでも書きましょう。
今サポートページに面白いコンテンツがないのは周知の通りですので、その有効利用について話していたらI君がショートストーリーを書いてくれると言ってくれました。わーい♪見る人を鬱にさせてくれるお話だそうですので楽しみにして待ちましょう。(プレッシャー)


まぁ、書いてみて自分でダメだと思ったら無理に出してくれなくてもいいのですが、基本的にPC講座ってスタッフが日々溜め込んでいるいろいろなものを好き勝手に表現する場でもあるので(違う?)、質にはこだわらずにどんどん出しちゃって良いと思います。


とか言いながら僕も公開するのって苦手です。自分の作ったものを公開するのってすごい恥ずかしいんですよね。周りに自分より明らかにレベルの高い人がいたりしたらなおさらですし、ネットの世界ではどうあがいても常にその状態になるのは避けられません。すごい人たちはその恥ずかしさを乗り越えて力をつけていくんでしょうが、だからこそ簡単に乗り越えられるものでもないのです。


今、僕は簡単なプログラムを公開していますがソースは公開していません。プログラムの方は作った時点で、他の人がまだ作っていなさそうで新しさがあると判断したから公開しています(逆に言えばすでに存在するものに対して挑戦状を叩きつけるだけの勇気がないのです)。ソースを晒していないのは自分のへたれっぷりを見られるのがやっぱり恥ずかしいからです。


ソースを公開しない別の理由を考えてみると、プログラムを使う側にすればソースなんて必要のないものだし、プログラマの人にとっては僕のへたれコードなんて意味のないものです。需要がないものを公開してもしょうがないと考えてしまう部分があるかもしれません。とはいえ、ソースが公開されていればそれだけでプログラムへの安心感が高まるというのは僕自身感じているところではあります。


いっさいがっさい公開している人はとにかくオープンソースの理念が大好きだとか、いろんな人の目に晒すことで改良を期待してたりとか、ソースそのものにも公開する価値があるとかいろいろ考えているのだと思いますが、結果的に自分の表現したものを公開できているという事実だけで僕はそういう人たちには勝てない気がしてしまいます。


「公開した方が絶対力がつくよ」


頭ではわかっていてもなかなか進めないことは良くあります。公開に一歩踏み出せない人たち(自分含めて)の背中は押してあげればいいのかなぁ。


横道にそれたまま終了っ。
ちなみにお話ができたあかつきの挿絵はe氏にお願いしよう。