機械系の先生はみな「ロボット三原則」を意識してるのか?

ざざざと気になったことを列挙。

  • 瀬名さんの司会の上手さにびびった。すごい話慣れてる。
  • 先生方の話しぶりにも顕著な差。年の行った先生の話は広いし深い。聞き取りづらいことも多々あるが・・・。
  • 専門家が100人以上集まってロボットの未来予想図を書いたアカデミック・ロードマップというものがある。
  • ロボット(RT:Robot Technology)の定義いろいろ。センサ+知能+アクチュエータ。
  • 50年100年後に人間の全体シミュレーションなんてできるわけがない by バイオシミュレーションの山口せんせ。
  • ちょうど今週スプライト観測衛星が打ち上がった
  • ロボット三原則の定義の曖昧さに対する突っ込み。
  • ロボット三原則を解釈しようとするとフレーム問題にぶち当たる。
  • ロボット三原則は人間にも当てはまる。
  • 想像すればなんだっていつかは作れる。
  • クリエイターと研究者で議論の展開の仕方が全然違って面白い。正攻法と搦め手という感じ。

未来予想図の意味

國吉先生のロボット未来予想図という、ともすれば風呂敷広げすぎじゃね?と感じる話から始まった講演会ですが、バラエティに富んだ研究者達の話は現在のロボットとこれからのロボット論に十分なリアリティを感じさせてくれました。
面白いのは「年をとると悲観的になる」と何度もおっしゃっていたバイオの山口先生。赤血球の力学的なコンピュータシミュレーションをしたときの話で、地球シミュレータ*1を使って1mmの血管内の1万個程度の赤血球の動きをたった1秒間しかシミュレーションできない現状で、たかだか50年後に人間全体のシミュレーションなんてあり得ないと断言していました。


レスキュー/宇宙ロボットをやっている永谷先生も「ブレークスルーというのは突然ある技術ができあがるのではなく、着実に続けていった研究がある閾値を超えた時点で世間に認識されるだけのこと」とおっしゃっているとおり、堅実に現状を評価し、これからの研究を見つめているんだなと感じました。


一方で國吉先生は「研究者自身が打ち立てる未来予想図とというのはこれが実現できたらいいねという類のものではなく、まさに自分自身がこれから挑んでいくべき指針なのだ」と繰り返し述べ、研究に対する強い意志を感じました。かっこいい。

ロボット三原則の意義

われはロボット 〔決定版〕 アシモフのロボット傑作集 (ハヤカワ文庫 SF)
パネルディスカッションでは、アシモフロボット三原則が書かれた「われはロボット」を読んだことがないという若い先生から三原則に関する疑問などが提示されていましたが、「人間」の定義とかフレーム問題といったWikipediaに書いているような内容だと思います。
ロボット工学三原則 - Wikipedia
なるほどと思ったのは、そもそもロボット三原則は知能を持ったロボットが「人間の社会」で問題を起こさない存在であるために従うべきものとして位置づけられたってことです。人間社会で問題を起こさないようなルールということは、人間にもそのまま当てはまるわけで人間自身もこの原則は守るべきであると考えることができます。
一方で、人間自身が必ずしもこの原則を守っているとは言えません。現状で僕らが普通に考える「知能」を持ったロボットは存在しませんが、もしこの自然言語で書かれたロボット三原則の言葉を理解し、その通り行動できるロボットができたとすればそれは人間に準ずる存在になるでしょうし、そもそも二足歩行ロボットはあらゆる観点からヒトを目標として作られているので当然の帰結だと思います。しかし、もしヒトと同様あるいはそれに近い「心」を獲得できたとしても人間が三原則を守れない以上、結局そのロボットも三原則を守ることはできないってことになるんじゃないでしょうか。
さらに、そもそも「三原則を守る」ということがどういうことなのか、この極めて曖昧な問題を人間自身も厳密に定義することができないだろうし、解釈の仕方によってはいかなる行動も制限されないはずです。そう考えると「知能」のあるロボットに対してロボット三原則を考えることにどういう意味があるのだろうなーと思うわけです。

SF小説におけるこの三原則の存在価値は大きいのかもしれませんが、果たして現実的に研究者が考慮すべきことなのか、それが気になりました。


そんな曖昧さを軽々と凌駕する「完璧な知性」「完璧な心」を持つロボットが作られたら意味はあるのかもね。
まほろまてぃっく (1) (ガムコミックスプラス)

*1:数年前まで世界一だったスーパーコンピュータ