タイパーにとって「打鍵のリズム」というのは言い訳にしかならない

話すのと同じリズムで、会話と同じ拍で打てますっていうのは親指シフト系配列のメリットとして語られることが多いです。「こんばんは」だったら「こ」「ん」「ば」「ん」「は」をそれぞれ一打鍵で打てれば会話と同じ拍で打てていると言えます。飛鳥配列はこれに該当しますが、JISかな・Qwertyはそうではありません。
飛鳥配列をやっていたこともあって打鍵のリズムの違いについてはある程度わかったつもりになっていて、AZIKを始めた最初の一週間は「すごく打鍵のリズムが悪い」と思っていました。これについてエントリを書くつもりだったのですが、それから少しもたたないうちにそれを否定する考えになったのでそこらへんをまとめておきます。

AZIKは打鍵のリズムが悪い?

AZIKの拡張を使うと、単語によって長い打鍵になったり極端に短い打鍵になることが多々あります。例を挙げると

  • Qwertyと同じ:「なか」→「naka」(Qwertyでもnaka)
  • 「みゃ」拡張:「みゃ」→「mga」(mya)
  • 「ん」拡張:「なん」→「nz」(nann)
  • 「しゃ」拡張:「しゃ」→「xa」(sha, sya)
  • 特殊拡張:「です」→「ds」(desu)

一拍が三打鍵だったり、二拍が二打鍵だったり四打鍵だったりと忙しいことこの上ありません。そもそもQwertyが会話のリズムと同じではないのですが、それでも大部分は一拍二打鍵という規則の上に成り立っています。AZIKはそもそも「ローマ字にこだわる必要はない」という姿勢で作られているので当然Qwertyにあったリズムさえ大きく崩されています。

そういう意味ではいまいちな配列なのではないかと思っていましたが、昨日今日で気づきました。これが打ちにくいと感じるのは結局慣れてなかっただけなんだと。配列に慣れていないことの言い訳として都合の良さそうな「打鍵のリズム」という概念を持ちだしてきて言い訳しているだけだと。

打鍵のリズムが持つ意味とは

「速度」ではなく「打ちやすさ」という曖昧な指標においては打鍵のリズムはある程度意味があるのかもしれませんが、こと速度においては訓練による慣れですべて解決できます。学習曲線を考えても、打鍵のリズムが良い効果を発揮するかどうかは疑問です。打鍵のリズムを一定に保とうとするとどうしても鍵盤上に複数のキーを定義する必要があるため、飛鳥配列のように一つのキーに三つの文字が割り当てられるという変態的*1なものができあがります。結果的に打鍵のリズムが良い配列では大量の定義を覚える必要があるため、初心者にとって学習しやすくなるとは言い難いものになります。


結局、今の段階では打鍵のリズムが会話と同じだと何が嬉しいのよ?って感じですが、少なくともタイパーにとっては意味はないと結論づけてもいいのではないかと思います。むしろ口から言葉を発する速度なんか軽々超え去ることを目標とするべきであって、そういう意味でも会話のリズムなんて意識する必要はないでしょう。

追記

会話のリズムが関係ない最たるものがスピードワープロじゃないでしょうか。実際どういう仕組みかはわかりませんが、以前かえでさんも言及されている通り

「速記の記述要素を分解し、それらを同時押しして表現するもの」であることと、「ワンアクションで多数の文字を入力すること」

っぽい雰囲気は動画から感じ取れます。

*1:このブログで変態という用語はほめ言葉です