昔の日記を読み返して思ったこと

1年後この日記を見返しているであろう自分へ.
大学生が日記に「w」なんて使ってるんじゃねーよww
とか思っているはず.

昔の日記を読み返していて顔文字なんか使ってんじゃねーよ.恥ずかしいなもうwと思ったので上のような文章を未来の自分に宛てておきます.きっといつになっても昔の日記を見るたびに文章を書き直したいと思うのでしょうね.
2005年1月20日:ヴォーカルトレーニング

いろいろ漁っていたらこんな文章も出てきました.
2006年3月16日:目的指向なプログラミング学習

これはプログラミング初心者に向けて書いた文章なのですが,突っ込みを入れられなくて正直焦りました(汗)上にも書いたとおりたいていの場合,特に長い文章を書いていたら書き直したくなるような箇所がいろいろ見つかるんですが,この文章はちょっと突っ込めません.確かに,この文章を書くときは自分のあまり知らないことは書かずに,突っ込まれないように突っ込まれないように*1書いていましたが,昔の自分に突っ込みを入れられないことにちょっとした恐怖を感じてしまいました.

だって,今の自分って昔の自分よりも高い所にいるべきでしょう.昔の自分は良かったねと思ってしまうようじゃ,1年間何やってたの?と責められても仕方ありません.それは,プログラミングに関してももちろんそうだし,日本語の文章力についてもです.

以前Uジローさんが書いていた通り(ブログを続けると文章はじわじわとしかし確実に下手になる!|とりあえず月配列とかのブログ)テキトーに日記書いてたからって文章力が向上するわけはないってわかっちゃいますが,やっぱり悔しいじゃないですか.

まぁ,(まぁとか使っちゃダメ)いつでもすべての領域で昔の自分より高いところを目指したいというのは理想であって,どこかでピークに到達して,そこから落ちていってしまうのは諦めるしかないでしょう.体力なんかがわかりやすい例です.

でも,体力とは違って一度考えたことの質が低下していくことってあまり無いことです.「プログラミングを学ぶ」ということについて当時十分に納得できる域まで考えて,それ以降は特に考えなかったからと言って,レベルが下がったわけじゃなく今もピークのままとも言えます.実際,今PC講座で受講生にプログラミングを教える時の基本方針は当時の文章の考えに沿っているつもりですし,この講座の経験によってさらに深く考えられるようになるかもしれません.


そう考えれば昔の自分に突っ込みを入れられないことはそう悪いことじゃなくてある程度成熟*2していると捉えることができるのかもしれません.逆に言えば1年足らずですぐに突っ込みを入れられるようなことではまだまだであるということですが..


確か,こういう感じの昔の書いた自分の記事を大切に,みたいな内容を以前どこかのブログで見たんですが忘れてしまいました.もう一度読みたい.


そして,いつのまにか当時の記事にブクマしてもらっていることに感謝.

*1:いちゃもんつけられるのが怖いチキンなのですよ

*2:どんな指標のもとで「成熟」したかはわかりませんが..才能?